『月夜の秘密』制作ノート
いつもの現実を違った角度から捉え、当たり前の風景を少し変えて見せるような、そういう所謂、異化効果をもつ作品も面白いが、それとは別にただ単に現実とは全く違った空想的な世界を感じられる作品もそれはそれで面白い。
そうした日常からかけ離れた世界をこっそりと夜更けに一人味わうのも創作物の主な楽しみの一つなのではないか、と個人的には思う。
このアルバムを作るに至った経緯を書くには、あるプライベートな事情に触れざるをえない。
当初、私は前作『夏の心臓』制作後、2019年6月頃には曲も大分溜まってきたし、ぼちぼち新作のレコーディングしようなどと考えていた。
その時はよりミニマルな方向に興味が向かっていたこともあり、次はアコースティックギターを使った弾き語りのアルバムにしよう、と構想を練っていた。
ところが、その夏の初め、生まれつき体に障害があり、ずっと一緒に暮らしてきた兄が突然倒れて、病院に運ばれた。
担当の医師によると命の危険があり、回復はあまり見込めないだろうとのことだった。
障害はあったが、もともとガッツがあった兄はそれでも何とか半年、呼吸器につながれ意識のない状態ではあったが最後の最後まで頑張って頑張って生き、そして亡くなった。
この出来事は自分と家族にとって、大変つらく悲しいことだったし、家族の中心となっていた存在が亡くなるということは何というかそれまでの暮らしが一変することだ。
正直まだまだ兄の死については整理できてないが、このアルバム後半の暗さというか静かさ、現実味の無さはそういうところからきている。
そんな事情もあって、当初アルバム用に予定していた曲は兄の入院後の様々な出来事や逝去により、自分の中で急速に古くなり、距離があるものになってしまい、どうにかする気持ちがなくなってしまった。
なので兄の入院後、2019年後半からぽつりぽつりとiphoneのボイスメモにため息のように溜まり始めてた曲に、兄の死後、しばらく経ってから、リハビリのように歌詞を徐々につけ始めた。そして、2020年5月よりレコーディングを始め、6月に本作は完成した。
新型コロナウィルスの流行もあり、今回はすべて自宅でレコーディングされた。
ドラムも打ち込みでakaiのサンプラーを叩き、ギターも前回とは打って変わってアコースティックギターを使用せず、Danelectroのエレクトリックギターのみを使った。
結局作ろうとしてたアルバムとは別の作品となり、音像的には真逆に近いものになった。
逃避的な考え方かもしれないがファンタジーには人を癒す効果があるのだと思う。つらい現実を前に、人は違った世界を想像したり作ったりする。
実際、このアルバムを作ったことは自分にとって結構な慰めになった。
さて、「月夜の秘密」……って一体何なんでしょうね。
秘密とは他者の存在がないと成り立たないことですが、それは簡単には言えないことだったり、あるいは簡単には言いたくないこと、自分一人のものとしてとっておきたいことだったり。
そんな隠された物事に人はつい興味を持ってしまうけど、大切な人の秘密は知ってみたいような、知りたくないような……二律背反的な感情をしばしば持つことになります。
ひょっとしたら些細なことかもしれない。
でも、見えないことって存在を知ってしまうと実物よりも大きく重要に見えてしまうものなんですよね。だからなるべく気にせず詮索せず、しかし、いざ打ち明けられたときには真面目に受け止められるような自分でありたいな、と思います。
願わくば、月夜の秘密を分かち合えるような自分でありますように。
アルバム制作中、オンライン茶飲み友達としてよく話相手になってくれた佐々木すーじん氏に感謝します。彼とは「棚と白熊」というベース・ボーカルデュオもやっていますが、いつも的確なアドバイスをもらってます。ありがとう。
最後にこのアルバムは兄に捧げます。いつも相手してくれて、本当にありがとう。